2017.09.21 (Thu)
[2017.09.21.木]
今日でBONNIE PINKは22歳になりました。
人生の半分をアーティストとして過ごしてきたと思うと短くはないなぁと実感しています。そして何より、思いのままに活動して来た私をずっと支えてくれているスタッフとファンの皆さんに、感謝の言葉しか思い浮かびません。
ここ数年の緩やかな創作活動の裏側で、結婚や出産、父との別れなど、決して穏やかではない日々を過ごしていた私ですが、全ての経験や感情がBONNIE PINKのクリエーションの源であり、逆もしかり。BONNIE PINKを通して得る喜びは、私の人生の一部、いや半分です。ファンの皆さん、キャッチボールを再開する日まで、もうしばらく待っていてくださいませ。
今日はいい天気。やっぱ私、晴れ女だわ!
2017.05.20 (Sat)
[2017.05.20.土]
ファンのみんなにご報告があります。
先の4月、私の人生において大きな出来事が2つありました。
先ず、
4月に入ってすぐに、私の最愛の父が他界いたしました。
3年のガン闘病の末、生まれ育った京都の町で息を引き取りました。
自分のことより周りを気遣いながら最期まで闘い抜いた父は、
私の誇りであり尊敬する人でした。
そして、そんな父からバトンを受け取ったかのように、
新しい命、我が第一子が、父が旅立ったおよそ半月後にこの世に誕生いたしました。
とても元気な女の子です!
父にとっては初孫で、そして希望の光でもあったと思います。
孫を抱かせてあげたいという私の願いは
あと少しのところで叶わなかったけれど、
力一杯生まれてきてくれた娘と、力一杯闘った父の勇姿が私の中で重なりました。
命とは、こうして巡ってゆくものなんですね。
父の元に私が生まれたのも4月、
私が父を見送ったのも4月、
私の元に娘がやってきてくれたのも4月。
昔私が書いた門出の歌「April Shower」が、
これから歌う度に新たな意味を帯びてゆきそうです。
喜びも悲しみも、今全てが大きなパワーとなって私を支えてくれています。
近い未来、この溢れる感情を綴れる日が来るといいなと思っています。
そしてエネルギーが指先にまでみなぎった頃、
また必ずみんなの前で歌います。
その日を私自身楽しみにしているので、
もうしばらく待っていていただけると嬉しいです。
いつも支えてくれているファンのみんなにありがとう。
そしてこの場を借りて、
父と娘に心からありがとう。
44歳にして母になった私の人生は、まだまだこれからです!
BONNIE PINK
2017.01.19 (Thu)
[2017.01.19.木]
皆様2017年、いかがお過ごしでしょうか?
私は実家でほっこり正月を迎え、雪の京都を回避するようにバタバタと東京に戻ってきてしまいました。
帰る前に少し街歩きして、スタッフや友達にお土産購入。
お正月の祇園は混雑してるけど、二年坂・三年坂近辺でお目当の品をゲット。漬物やら七味やら耳かきやらお箸やら・・。
「京都ぎらい」という本によると私の実家は洛外に位置していて、でも私が実質育ったのは洛中で、田舎もんなのか都会っ子なのか?私の京都人としてのアイデンティティーが揺るがされたけど、でもそれでも京都は私のホームグラウンド。
東京に暮らして長いけれど、この先もずっと繋がっていたい人や景色がそこにはたくさんあって、折に触れて”帰らなくちゃ”と思う。
“Georgia On My Mind”のメロディーに乗せて、"Kyoto On My Mind”って歌ってくんないかなぁ・・Ray Charlesが私に。
今年も東京で、ゆっくり頑張ってこうと思います!
2016.09.07 (Wed)
[2016.09.07.水]
BONNIE PINKの初期3作品が初のリマスターののちに復刻リリースとなりましたぁ!
UHQ-CD盤(紙ジャケ仕様)、ハイレゾ配信、LP盤、お好みでどうぞ〜。
UHQ-CD盤には内本順一さんによる、ちょっと泣けちゃうライナーノーツ。
LP盤には当時を思い起こしながら書いた私のコメントがついてます。
それぞれのCDが完成して開封した時のワクワク感がまた味わえるなんて・・20年間みなさまありがとう。
そしてこの3部作でお世話になったポニーキャニオンさん、心からありがとうございます!
何度も聴いてくれている方も、いや全く通ってないという方も、
装いを新たにしたBONNIE PINKの原点を、よりよい音質で今一度お楽しみくださいませ。
当時は赤毛で威嚇してたなぁ〜。でもそんな私、只今金髪(余談)。
2016.06.29 (Wed)
[2016.06.29.水]
久々にBlue Noteでライブ見ました。NIK WEST feat. JOHN BLACKWELL。最高にファンキーな夜をありがとー。ベース弾きながらあんなに歌って踊れるってすごい。2000年からプリンスのドラマーを勤めたてきたジョンの演奏はほんの少ししか聴けなかったけど、ニックのリクエストで急遽してくれたプリンスの思い出話が、この夜いただいた最高の贈り物でした。ジョンが脳腫瘍をわずらっているというニュースをこの直後に知って、それでも無理してステージに立って素晴らしい演奏を聴かせてくれたことに驚きを隠せませんでした。どうか、彼がこの病に打ち勝って、また自由に演奏できる日が来ますように。
https://www.gofundme.com/JohnBlackwellJr
2016.06.28 (Tue)
[2016.06.28.火]
ザ・スライドショー13に行ってきた。
みうらじゅん/いとうせいこう/+スライ(スライド機)=Rock’n Roll Sliders。
その昔私がスペースシャワーTVでレギュラー番組をやらせていただいてた時に、ゲストでお二方に来ていただいてからもう20年。ラフォーレミュージアム原宿がスタートだったスライドショーもなんと代々木第二体育館で開催!超絶面白かったので、同じ内容をもう1回見たいくらい。お土産のカメオブローチ。微妙ないやげ物をお客さんみんな胸に着けて帰る、この余韻も面白い。あぁ、こんなふざけた50代になりたい。
2016.04.22 (Fri)
[2016.04.22.金]
私の敬愛するPrinceが逝ってしまった。
夜中にそのニュースを聞いてから、ずっと眠れず朝を迎えて、
喪失感を持て余したままミネアポリスに想いを馳せている。
私にとって最大のMusic Icon。
小学校の時、初めて自分のお小遣いで買ったカセットテープが、Princeの”Purple Rain”だった。
あの時の衝撃が私の人生を変えたと言っても過言ではない。
彼が切り開いた道を、どれだけの人間が追いかけて来たことか...。
本当に嫌だ。涙が紫色だ。
まだお別れを言いたくない。
Sometimes it snows in April
Sometimes I feel so bad, so bad
Sometimes I wish life was never ending,
And all good things, they say, never last
2016.04.17 (Sun)
[2016.04.17.日]
ファンの皆様、私の誕生日にたくさんのメッセージをありがとうございます。
感謝・感激です。
時間がかかっても、この気持ちを形にしてお返ししたいと思っている毎日です。
ここ数日、熊本と大分での相次ぐ地震に、大変胸を痛めております。
実は私の母方のルーツは熊本の阿蘇山の麓にあります。
一度は訪れたいと思っていてまだ叶っていない場所。
そんなゆかりの土地の阿蘇や、熊本地方、大分でも起こっている今回の大きな地震で
被災されて不安な日々をお過ごしの皆さんが、どうかご無事であるよう、
そしてこれ以上被害が広がらないことを、心から祈っています。
2016.03.10 (Thu)
[2016.03.10.木]
ジョージ・マーティンさんが亡くなられたと聞いて、寂しさと感謝がぶわーっとこみ上げてきた。私はビートルズ世代では無かったけれど、小学校の時に数ある名盤を取っ替え引っ替えして聴いて、音楽の素晴らしさを教えてもらった。
デビューして間もない頃に、サー・ジョージ・マーティンの”In My Life”というアルバムの日本盤に参加できるという奇跡に恵まれ、ロンドンに飛んだ。
ホテルの部屋にはバラの花束が届いていた。
翌朝、ここで待っていてと通されたスタジオ併設のカフェでドキドキして待っていると、パウンドケーキとコーヒーを持ってゆるゆると私に向かって歩いてきて「よく来たね」とケーキを差し出してくれたのがジョージさんだった。
ビートルズの名曲群を著名人が歌うというコンピレーションアルバム。
私みたいなひよっ子がそこに混ざる違和感。でもそんなの気にしてたらあの幸運は逃げて行ってただろう。この中のどれかを歌ってほしいとジョージさんが私のために選んでくれた3曲の中にBlackbirdがあった。実はそのリストをもらう前からBlackbirdが歌いたいと心で願っていた。以心伝心だった。
既に録音済みだったギタートラックは事前にもらって何度も聴いてきたし、歌う練習もしてきたけど、あんなにガチガチに緊張したレコーディングは後にも先にもあの時だけだ。 目の前にジョージさんと彼の息子さんで共同プロデューサーのジャイルズさんがいて、他にもスタッフが凝視する中、一度歌ってみたものの、正直それがよかったのか悪かったのかもわからずモジモジしていると、ジョージさんがブースに入ってきて私に寄り添って、「自分の好きなように、自由に歌ったらいいんだよ。時間はいくらでもあるからね。」と言ってくれた。一気にリラックスして練習のつもりで3テイクほど録ったら、なんとそれでOKが出てしまった。あっという間だった。
もっとこんな風に歌えばよかった、とか、もっとこんな風に崩して歌ってもよかったのかな?とか、後から色々悔やまれたけど、もしかしたらあの時の私に求められていたのは、外連味のない真っ直ぐな歌だったのかなとも思う。
自由を勝ち取るために、真っ直ぐ飛び立つ鳥の歌。
ちょっぴり苦くて、でも贅沢で至福だった私の思い出。
優しくて紳士で、音楽に対して真摯で、そして圧倒的に温かいお人柄。
5人目のビートルズがそっと旅立っていった今、ポールとリンゴはどんなことを思い起こしているんだろうと想像する。
Sir George Martin、たくさんの音楽の魔法を残してくださってありがとうございます。
Your music is immortal.
どうぞ安らかに。
2015.12.25 (Fri)
[2015.12.25.金]
20周年のツアーが12/18と12/19のZEPP TOKYO公演にて幕を閉じました。
いつも10本ほどしかないツアーですが、その分1本1本どうにか違ったものにできないかと、あれこれメンバーとアイデアひねり出しながらリハーサルして、思えばツアー中もずっと考えている、そんな感じでした。
今回、私が途中退席している間にBad Bad Boysの演奏で繋いでいただくコーナーを作ったのですが、自分がステージに居ない時間でもどうやってファンの皆さんに楽しんでいただくか、私のちょっとしたこだわりのパートでした。
気づいてくれた方もいたでしょうか。
今まで作ってきた楽曲の印象的な歌メロや楽器のリフを、同じキーの演奏の上でメンバーそれぞれ順番に弾いてもらって回していただいていました。
歌詞が聞こえないし、オリジナルとキーが違うものもあったから一瞬わからなかったかもだけど、きっとみんな聞いたことあるフレーズが見え隠れしていたはず。
何曲くらいわかったかなぁ?
その間に私は客席から登場すべく裏でスタンバっていたのですが、イヤモニから聞こえてくるB.B.Bの叙情的な演奏に毎回酔いしれ、終盤どんどん白熱していくセッションに心躍らせていました。
ありがとうの気持ちでいっぱいになりつつ。
歌がそこになくても、私のヒストリーを感じていただけるような気がして、今回のツアーで一番と言っていいほどのお気に入りのコーナーでした。
それと、少しサイケデリックなインプロビゼーションで始まるオープニングも今年の気分でした。
このツアーの思い出話の続きは、ファンクラブの会報に書きますね。
あれもこれも、たくさん嬉しいこと・楽しいことがあったので。
思い出作りを手伝ってくれたファンの皆様、そしてバンドメンバーとスタッフに感謝です。
アンケートびっしり書いてくれた人や、心のこもったお土産くれた人、ライブで頑張って声出してくれた人、一緒に飛び跳ねてくれた人、静かに聞き入ってくれた人、アルバムを待っていると言ってくれた人、みんな愛してます!
どこかの地方で突発的にコアなファンの方をPINKHEADSと呼んでみたのだけど、今後そんな方が増えていくと嬉しいなぁと思っています。
BONNIE PINKはこれからも続いていくのだから、家族は多い方が楽しい。
いつの間にか全国に散らばるファンの人同士も、点と点を結ぶ星座のように繋がってくださってる。
そんなきっかけになれていることが私の誇りです。
BAD BAD BOYSと次に合流するのはいつかしら?
その日のためにまた色々ライブの妄想をしておきます。
のらりくらりでも確実に20年という時が流れ、そして変わらず支えてくれるファンの方やスタッフがいる幸せを噛みしめつつ迎えている年の瀬です。ぐふ。
”Slowly but surely”…….「地味でも地道に(ボニピ的訳)」これからも歩んで行く所存です。
さらば2015年。
来年はおさるさんだねー、ウキウキウッキー!!